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そっと行動変容をうながすー"ナッジ"を用いた食環境整備に取り組む管理栄養士

トップランナーたちの仕事の中身♯057

川畑輝子さん(公益社団法人地域医療振興協会地域医療研究所ヘルスプロモーション研究センター、管理栄養士)

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 ナッジ(nudge)はもともと英語で、肘で軽くつつくという意味があり、行動経済学では人びとの行動変容をそっと促す手法とされています。お店の品揃えや陳列の見せ方を変えて、"より健康的な"売り場にし、利用する人たちの健康意識を高める、その取り組みに挑戦した人が管理栄養士の川畑輝子さんです。
 その舞台は、東京都内にある台東区立台東病院にあるコンビニエンスストア(以下、コンビニ)です。病院内には職員食堂がなく、患者さんやお見舞いに来る家族だけでなく、医師やメディカルスタッフをはじめ多くの職員がこの店舗を利用して、食事や飲み物を購入していました。この店舗は病院が経営を担っていましたが、品揃えが充実しているとは言い難く、職員から改善の要望があがっていました。院内の健康推進委員会メンバーを中心とした有志で、「食品の品揃えを充実させて、より健康的なお店にできないか?」と考えるようになったのが改革のきっかけでした。
 川畑さんは台東区から指定管理の委託を受け台東病院を運営している公益社団法人地域医療振興協会に所属しており、ヘルスプロモーションを研究する研究員として生活習慣病予防やフレイル予防に関する取り組みを考えて実行に移し、その成果を社会に広める活動をしています。病院内のコンビニ改革についても、その一環として川畑さんにその先陣役が託されました。

実態を調査し、課題にあわせてナッジを用いる

 改革に取り組むにあたり、川畑さんは海外の先行研究を調べることにしました。国内ではまだあまり例がなかったことと、大学院で学んだ際、「新しいことに取り組むときは、まずは先行研究を探索する」の基礎を身に着けたからです。
 調べていくと、医療施設内の売店での食環境整備の事例は少なかったものの、街中の店舗での事例を複数見つけることができました。米国で使用されている医療施設の食環境評価指標や、米国病院協会の活動も参考にしました。それによると、商品の陳列によって購買行動が変わること、とりわけレジまわりに健康的なものを置くことで購入される確率が高まること、ちょっとしたお得感を提供することが購入動機になることが分かりました。
 併せて職員の食に対する課題を特定するために調査を行いました。その結果、コンビニを利用している職員はおにぎりやサンドイッチといった軽食を選ぶケースが多く、職員全体として「主食・主菜・副菜のそろったバランスのよい食事をしている人は少ないこと、野菜不足と食塩の過剰摂取が課題として浮かび上がってきました。
 ナッジの枠組みの一つに、EAST[E=Easy(簡便さ・手軽さ)、A=Attractive(魅力的な)、S=Social(皆がやっていると感じられるような、社会への同調)、T=Timely(タイムリーに)]の考え方があります。川畑さんはこの考え方をもとにプロジェクトメンバーと話し合い、店舗に置く商品の見直しから陳列の工夫、栄養成分表示の充実など様々な工夫を凝らしました。
 例えば、商品の陳列について、ナッジの考え方では、購入してほしい商品を手に取りやすい位置、目の高さに陳列します。例えば、カップ麺などの商品売り場では、主な購入層である男性職員の目の高さにできるだけ容量の小さい商品、すなわち食塩含有量の少ない商品を並べるといった工夫です。

自然に栄養バランスのよい食事が選べるように

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 前述したように、食塩の過剰摂取と並んで、事前の調査で「主食・主菜・副菜のそろったバランスのよい食事」をしている人が少ないという課題がありました。病院職員に「バランスのよい食事」を選んで購入してもらうために、川畑さんは従来からある商品を組み合わせた「ヘルシーセット」を考案しました。
 写真のように、冷蔵コーナーには「ヘルシーセット」と名札が付いたトレーがずらりと並んでいます。そのトレーごとレジに持っていく仕組みです。
 このトレーには、主食・主菜・副菜がそろうように弁当類やサラダ、時折ヨーグルトなども組み合わせてあります。購入する人は、自分で「どうしたら栄養バランスがよくなるのか?」を考えなくて済むのです。そして、「ヘルシーセット」は、川畑さんが当時コンビニの経営者でもあった病院の経営陣と相談して、単品でそれぞれ購入するよりはセットでの購入が100〜200円の割引になるような職員限定価格を実現させ、お得感を出しました。また、このセットに飽きてしまうことがないように、曜日ごとに商品の組み合わせを変え、さらには「大好評メニュー」や「人気No.1」といったポップを付けて、「みんなも選んでいるなら私も食べてみようかな!」という気持ちにさせる工夫もしました。
 その結果、おにぎりやカップ麺類の売り上げは減少したものの、サラダや弁当類、ヨーグルト等の売り上げが増え、なおかつ、店舗の総売上も伸びました。
 川畑さんのこうした数々の取り組みは、思いつきで実施したのではなく、研究者の心構えとして、国内だけでなく海外でこうした研究の成果がないかどうかを事前に論文を探すところから始め、イギリスやアメリカなどでの食環境整備の報告からヒントを得て、今回のようなケースでの改革にこぎつけました。川畑さんは多くの人にこの結果を知ってもらいたいと思い、論文(※)にまとめました。

※川畑輝子,他:医療施設内コンビニエンスストアにおけるナッジを活用した食環境整備の試み,フードシステム研究,27(4),226-231,2021

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 川畑さんの仕事は、病院内のコンビニ改革だけにとどまりません。所属先が地域医療振興協会であるとおり、青森県の東通村、群馬県の嬬恋村、愛知県のあま市など、各地で地域の人びとの健康づくりを担い、強制することなく自然な流れで健康的な生活がなされるように、研究者の視点を持って業務に取り組んでいます。
 「管理栄養士・栄養士は地域を守る専門職。私たちが食のことだけを見ていればよいという時代は終わっています。もっとずっと広い視野で物事を見られるように学び続け、社会に還元していくことが大切ですね」

プロフィール:
1994年女子栄養大学卒業。民間企業にて食事画像診断システム(食事診断アプリ)の開発、および特定保健指導プログラムの開発・指導に携わる。仕事を続けながら2013年女子栄養大学大学院修士課程修了、2022年同博士課程修了、博士(栄養学)。2017年より現職。管理栄養士。

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