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災害の現場で培ったキャリアを、行政で働く管理栄養士の育成に注ぐ

トップランナーたちの仕事の中身#080

久保彰子さん(女子栄養大学栄養学部准教授、管理栄養士)

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 地元の熊本県を離れて、2年前に女子栄養大学の教員となった久保彰子さん。学生からは見えにくい行政で働く管理栄養士の仕事をできるだけ「見える化」する教育をしながら、自身が経験した災害時の管理栄養士・栄養士の栄養・食生活支援をテーマに研究を続けています。久保さんの両輪の動きが、次世代の管理栄養士たちの礎となっていきます。

定年までの管理栄養士人生を考えて

 生まれ育った熊本県で、行政で働く管理栄養士として25年間力を注いできた久保彰子さんが、埼玉県内にある女子栄養大学の教員に職を変えました。よほど大きな決断だっただろうと、その決意の真相をお伺いしました。
 「熊本は大好きな場所。地域の健康課題に地域の関係者の皆さんを巻き込んで取り組むことには非常にやりがいがありました。しかし、50歳を前にふと考えたのです。定年までの残り10年で、県内でもっと大きな事業を手がけることもできるけれど、大学に移れば、同じような志を持った管理栄養士の卵たちを輩出させることができ、国内各地で暮らす人びとの健康づくりにより大きく寄与できるのではないかと」と、久保さんは打ち明けてくれました。
 地域の課題を見つけ、エビデンスを積みながら解決し、成果を出していく。それが実践できる管理栄養士がどの都道府県・市町村にも必要で、その卵たちを養成したい気持ちと、すでに現場にいる管理栄養士・栄養士からニーズがあれば大学教員・研究者として協力したい気持ち、その双方が久保さんを動かしました。

 久保さんが受け持つ公衆栄養学の講義や地域栄養教育実習では、自身が熊本県で取り組んできた事例を多くの画像を使って示しています。都道府県や市町村の管理栄養士としてどんな思いを持ち、その地域にいるどんな人たちに働きかけ、自治体の栄養施策として具体的に何をしていくか、そして実践してからのモニタリングや評価、結果の見える化にも力を入れてきたことを紹介していきます。
 教育の中で重視しているのは、行政の事業は行政の職員や健康・福祉にまつわる関係者だけでは成し得ないため、農林水産、教育、商工、そして消費者や保護者といったさまざまな立場の関係者と住民たちと一緒に事業を動かしていくという意識です。久保さんもその仕事ぶりに周りからよく「人たらしだね」と言われていたと苦笑するが、それくらい行政で働く管理栄養士には"働き掛ける"スキルが必要だと振り返ります。

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 大学の卒業研究ゼミの活動の1つとして、災害時の栄養・食生活支援を取り上げています。この授業では月1回オンラインで、学生と現場で活躍する行政の管理栄養士・栄養士との交流会を実施。熊本県での久保さんの事例を見せるだけでなく、他の都道府県や市町村の現役の管理栄養士・栄養士に学生たちに向けて直接話をしてもらい、業務内容や必要なスキルを紹介してもらっています。
 「就職先として、初めのうちは行政の中でも業務内容が比較的わかりやすい市町村を志望する学生が多いのですが、現役の管理栄養士・栄養士とオンラインで交流して理解を深めることによって、都道府県を見据えるようになる学生も出てきます」
 昨年度は、久保さんが主宰する公衆衛生学研究室の卒業研究生7人中の5人が行政の道に進みました。久保さんが卒業研究生を初めて受け持ったその年に、さっそく次世代の行政で働く管理栄養士が各地に羽ばたいて行ったことに、久保さんは「うれしさと、彼女たちを応援し続けたい気持ちでいっぱいです」と語ります。

熊本で経験した4つの災害

 今年も7月前半に活発な梅雨前線の影響で熊本県内では複数の河川が氾濫するという災害が起きましたが、久保さんが熊本県職員だった25年間のうちにも4つの大きな自然災害が発生しました。県南集中豪雨による水俣市での土石流災害(2003年)、九 州 北 部 豪 雨(2012年)、 熊 本 地 震(2016年)、熊本豪雨による球磨川氾濫(2020年)です。
 2003年の水俣市内での土石流災害時、久保さんは水俣保健所で働いていました。当時はまだ災害時に管理栄養士・栄養士による栄養・食生活支援の必要性が知られていなかったため、久保さんは水害被災地の消毒に石灰をまいたり、保健師の保健指導に同行したりする業務をしていたそうです。
 2012年の豪雨では、勤務していた阿蘇保健所が夜のうちに床上浸水の被害に遭いました。電気・電話は使えずパソコンも水に浸かり、業務ができない事態に。それでも被災状況の把握に出掛け、管轄の市町の管理栄養士・栄養士と共に避難所の巡回を実施しました。避難所では農林水産課が発注した弁当が配られていましたが、数日すると「便秘になった」、「口内炎がひどい」、「高齢の自分には食べにくい」といった声が聞かれるようになり、業者に連絡を取って、弁当に野菜料理を増やす等の改善を申し出て対応してもらいました。これが管理栄養士として初めての災害時の栄養・食生活支援となりました。
 「この後に、JDA-DAT(日本栄養士会災害支援チーム)の組織ができて、熊本地震や球磨川の氾濫での支援は大変助かりました。被災時に管理栄養士・栄養士の手が必要となるのは、避難所の巡回と栄養相談。被災地の管理栄養士・栄養士だけではとても間に合いません。JDA-DATは毎日のように巡回してくれて必要な人に必要な食支援を即座にしてもらえるので、被災者の健康維持・改善にはなくてはならない存在です」

 災害支援の必需品は食料や最低限の着替え以外に、Wi-Fi、ミニプリンター、栄養計算ソフト。こうした経験ももちろん余すことなく学生に伝えています。災害は事前に体験できないからこそ、授業では学生たちに想像力を高めさせる働きかけを行います。防災のシミュレーションができるカードゲーム「クロスロード」も使って、想定外の問題に直面したときの心理や対応をイメージさせています。久保さんは現在、管理栄養士・栄養士向けの同様のカード教材を開発し、この教材を使った群と使わない群での知識や判断の差に有意差が出るかを検証しているところで、論文にまとめる予定です。

商品開発は大学教員だからこそ

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 久保さんは今、民間企業とともに災害時の食品の開発にも携わっています。自治体で備蓄している食品は主食が中心のため、市販の缶詰よりも長期間の保存ができるような主菜や、咀嚼・嚥下がしやすいものを商品化できないか検討しています。
 「企業理念や販売する上での商品戦略等、公務員時代には知り得なかった事柄が多くて新鮮です」と久保さん。並行して、埼玉県内の自治体から受託している研究もあります。
桶川市、鶴ヶ島市はともに住民の高血圧が健康課題としてあり、それぞれの自治体担当者と話し合い、桶川市は幼児を対象に、鶴ヶ島市では働き盛りの成人を対象に研究をスタートさせ、研究室に所属する4年生1人ずつを担当に充てました。桶川市では公立保育園の3歳児を対象に通常の尿検査の残りで尿中ナトリウム・カリウム比(ナトカリ比)を測定し、食物摂取の頻度調査等とともに幼児の食事内容を解析。公立保育園の今後の給食の献立にもその結果を反映させる予定です。
 鶴ヶ島市では対象の40代から50代に尿検査キットを郵送し、二次元バーコードで食生活調査をし、オンデマンドでの保健指導とオンラインでの個別指導を予定しています。
 担当の学生はリクルートスーツを着て、自治体との打ち合わせから久保さんに同行し、市の管理栄養士の業務を垣間見るという経験もできています。現役の管理栄養士も、そして次世代の管理栄養士もサポートしている久保さん。自身の25年間のキャリアと人脈、その志は確実により大きなものを動かしています。

プロフィール:
1996年熊本県立大学生活科学部食物栄養学科卒業。2009年熊本学園大学大学院社会福祉学研究科福祉環境学専攻修士課程修了、修士(福祉環境学)。1996年熊本県入庁。保健所、健康福祉部健康づくり推進課生活習慣病対策室、同部食育推進課、こども総合療育センター等を経て2021年より現職。災害の現場での経験を生かし、管理栄養士の育成に力を入れている。公益社団法人 埼玉県栄養士会所属。

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