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沿革

大正~昭和20年

「栄養手」の誕生と大日本栄養士会の創設

「栄養手」誕生から15年後、日本は第2次世界大戦に参戦し、国民は苦しい生活を強いられることになりました。戦時中の厳しい食料事情から、栄養士の養成、業務の重要性・必要性が認められることとなり、栄養士規則が公布され、大日本栄養士会が設立されました。

大正15年3月15日(1926年)
栄養学校第1回卒業生13名が「栄養手」と呼ばれて世に出る

その後、遅れて入学した2名が卒業する。

円内は、栄養学校を開設した佐伯矩博士

昭和20年 4月13日(1945年)
栄養士規則、私立栄養士養成所指定規則公布(即日施行)

食料事情に鑑み、栄養士養成が緊要の課題であるとの観点から、国民栄養に関する指導の統一と徹底を図ることを目的として、栄養士の身分とその業務が、国家的に定められた。養成施設として14校を指定。栄養学校卒業生全てが栄養士として認められた。

昭和20年5月21日(1945年)
大日本栄養士会創立

昭和20年3月9日、東京・帝国ホテルでの、大日本栄養士会設立の面々。左から赤星茂吉、田中静雄、半田武夫、福井忠孝の各氏。

昭和20年3月9日、東京・帝国ホテルでの、大日本栄養士会設立の面々。左から赤星茂吉、田中静雄、半田武夫、福井忠孝

昭和20年8月(1945年)
終戦に伴い「日本栄養士会」と改称
昭和20年8月12月(1945年)
東京都で栄養調査実施(昭和21年から全国的に国民栄養調査実施)

終戦直後の国民生活は、食料事情が悪化し、栄養不足の状況にあった。外国に食料支援を求めるにあたり、人びとの栄養の実態を把握することが求められ、連合軍司令官覚書により栄養調査が実施された。区民31,968人。農民3,200人を対象とし、栄養不足を示すことにより諸外国から食料支援を受ける。

東京・新橋駅前の戦後のヤミ市風景 昭和21年

昭和22年12月29日(1947年)
栄養士法公布(昭和23年1月1日施行)

「栄養士とは、栄養士の名称を用いて栄養の指導に従事することを業とする者をいう」と定義された。

昭和26年4月4日(1951年)
栄養士を会長に選出(日本栄養士会 第6回通常総会)

千葉県教育会館で開催した総会で山口正義厚生省公衆衛生局長の助言をもとに、栄養士・医師である田中静雄氏を会長に、理事長に赤星茂吉氏を選出。

昭和20年~30年

栄養改善法の成立と多彩な栄養対策・事業の展開

食料不足が徐々に解消されていく中、国民の健康・体力の維持・増進を目指し、多くの方々の支援のもと、栄養改善法が公布されました。キッチンカーによる栄養指導、日本栄養改善学会の設立、「栄養日本」の創刊など、栄養対策・事業では短期間に目覚ましい進展が見られました。

昭和26年10月(1951年)
栄養士法廃止阻止、栄養改善推進の新法制定運動開始

地方制度審議会が栄養士法廃止を検討と新聞が報道。栄養士法廃止阻止のみではなく、多くの方々の支援を得て、栄養改善推進のための新法の成立を目指した活動を展開。

昭和27年4月23日、東京有楽町・読売ホールで開催された国民栄養改善法制定促進大会

昭和27年5月 国会への陳情を終えて

昭和27年 7月31日(1952年)
栄養改善法公布(即日施行)

栄養士法廃止に対して、関係議員の指導を得て、栄養行政の中核法、栄養士活動の基本法として、議員立法により成立。
その後、幾多の改正が行われ、平成15(2003)年5月1日からは、健康増進法(14年8月2日公布)にその内容を盛り込み健康づくりの基本法として現在に至っている。

栄養改善法制定決定の瞬間のよろこび(昭和27年7月4日、促進会事務局)

昭和29年 7月(1954年)
東京都で栄養指導車(キッチンカー)による指導が始まる

指導目標「栄養のバランスの取れた食事の励行」

キッチンカー・動く台所と呼ばれ、マスコミで報道 昭和31年

昭和29年10月5日、6日(1954年)
日本栄養改善学会設立

栄養改善法の成立を機に準備を開始。東京駿河台・YWCA講堂で第1回日本栄養改善学会を開催。同学会は、昭和60(1985)年11月に日本学術会議に登録。

昭和33年1月25日(1958年)
機関誌「栄養日本」創刊

厚生省栄養課の支援を得て発行。4月から日本栄養士会の機関誌として会員に配付。

昭和33年1月発行 栄養日本創刊号

昭和30年~50年

任意団体から法人設立へ

日本は復興を遂げ、経済は急成長し、国民の生活や食生活が豊かになり、平均寿命が延伸していきました。日本栄養士会は法人化し、国際栄養士連盟に加盟するなど、大きく躍進しました。

昭和34年11月13日(1959年)
日本栄養士会の社団法人許可

会長に田中静雄(医師・栄養士)氏、理事長に森川規矩氏が就任。

昭和35年6月16日(1960年)
日本栄養士会 第1回通常総会開催

東京・北里講堂にて開催。

昭和36年4月1日(1961年)
国際栄養士連盟に加盟

7月に開催された第3回国際栄養士会議に田中会長ら3名が参加。

昭和37年9月13日(1962年)
栄養士法等一部改正公布(昭和38年4月1日施行)

管理栄養士制度の創設。

栄養改善法の一部改正公布(昭和39年4月1日施行)

集団給食施設へ栄養士・管理栄養士の配置の努力規定。

管理栄養士制度制定記念「栄養改善のつどい」(昭和37年10月)

昭和38年6月6・7日(1963年)
職域部会設置(日本栄養士会第4回通常総会)

6部会を設置。昭和39(1964)年1月から行政、防衛、矯正、学校、医療、福祉、産業、教育研究、養成施設、一般の10部会に。

昭和46年4月(1971年)
日本栄養士会 病態栄養技術講習会を開始

『病態栄養学双書』(全13巻)を活用し、19科目、38単位(144時間)の研修を11月から京都、本部(東京)で試行
以降、63年度末まで全国で実施。

病態栄養学双書編集委員会

昭和56年9月19日(1981年)
日本栄養会館落成披露、神田神保町に移転
昭和50年~平成20年

栄養士制度の改正と業務の拡充

食生活の乱れや、運動不足、脂質の過剰摂取など、国民生活の変化が顕著になり、成人病(生活習慣病)が問題になってきました。管理栄養士の免許制への移行、栄養教諭の誕生など、栄養士業務の重要性がさらに認知されるに伴い、栄養士の卒後教育の制度も充実していきました。

昭和57年9月8日
~58年3月14日(1982~1983年)
栄養士免許制度廃止反対運動の推進

第二臨調の答申において栄養士免許廃止と報道。厚生省と対応を協議し、理事会で対策を決定。都道府県支部長会議などを開催し、支部と一体となって関係者への陳情、署名運動、資金カンパなど全国的な反対運動を展開。最終答申は軽微な指摘にとどまる。

東京・九段会館で開催した栄養士法改悪阻止総決起中央大会 (昭和57年11月8日)に、会員約2,000名、国会議員100余名が参加。終了後、デモ行進・陳情

昭和58年10月19日(1983年)
職域協議会設置の定款改正を承認(第25回臨時総会)
昭和59年4月1日(1984年)
定款改正施行、都道府県支部の廃止と職域協議会の創設

都道府県栄養士会との連合的な組織に。職域部会を職域協議会とし、事業費を交付。

昭和60年6月25日(1985年)
栄養士法一部改正公布(62年4月1施行)

管理栄養士国家試験の全面国家試験の実施、栄養士試験の廃止

昭和62年6月1日(1987年)
生涯学習制度創設(日本栄養士会第29回通常総会)

昭和63(1988)年11月から基礎研修コース(3年)を試行し、順次、都道府県栄養士会で実施。平成5(1993)年度から専門研修コース(5年)を試行し、都道府県で実施。

平成5年3月31日(1993年)
全都道府県栄養士会の法人化達成
平成10年 4月1日(1998年)
執行組織の変更と職域協議会の再編成(日本栄養士会 第39回通常総会:定款変更(平成9年6月17日)

会長を会の代表者に加え、事業執行の責任者に、理事長を専務理事に、各部長を常任理事とし、常任理事会を設置。職域協議会を7職域協議会3運営部会に再編。

平成12年4月7日(2000年)
栄養士法一部改正・管理栄養士の業務が明確に

栄養士法一部改正公布(平成14年4月1日施行)により、管理栄養士が登録から免許になり、業務が明確に規定され、養成の高度化と第6条の「名称使用の制限」の内容に「無資格者の業務規制」が加わった。

東京・ホテルオークラにて、栄養士法改正総決起大会(平成11年7月21日) が開催

平成15年5月1日(2003年)
健康増進法施行(栄養改善法廃止)

健康づくりの基本法として、健康増進法が施行され、これに伴って栄養改善法は廃止となった。

平成17年4月1日(2005年)
栄養教諭誕生

教職員免許法、学校教育法等の一部が改正され、栄養教諭制度が導入された。

平成17年6月17日(2005年)
食育基本法公布

平成18(2006)年度より食育推進基本計画開始。毎月19日を「食育の日」、6月を「食育月間」に。

平成17年6月19日(2005年)
平成17年度第1回全国栄養士大会開催

東京・昭和女子大学グリーンホール

中村丁次会長あいさつ

平成17年10月1日(2005年)
栄養マネジメント加算認められる(介護報酬)

平成21(2009)年4月からは障がい(児)者施設入居者にも。

平成18年4月1日(2006年)
栄養管理実施加算認められる(診療報酬)

平成24(2012)年4月に入院基本料に包括された。

平成20年1月(2008年)
「栄養日本」を「日本栄養士会雑誌(栄養日本)」と改称
平成20年4月1日(2008年)
特定健診・特定保健指導開始

医療保険者に義務付け、メタボリックシンドロームの概念を導入したプログラムにより実施。管理栄養士は、医師・保健師とともに指導の担い手として位置付けられた。

平成20年~現在

栄養ケア・ステーションの開設とICD2008の開催

超高齢社会では、国民自ら生活習慣の問題点に気付いて改善していく、地域での栄養支援が必要です。一方、横浜市で第15回国際栄養士会議(ICD)が開催され、東日本大震災では世界中からも多くの支援を受けました。地域密着性とグローバル化への対応、さらに災害支援のあり方など、管理栄養士・栄養士および日本栄養士会は、改めてその使命について考えていきたいと思っています。

平成20年4月1日(2008年)
特定健診・特定保健指導開始

医療保険者に義務付け、メタボリックシンドロームの概念を導入したプログラムにより実施。管理栄養士は、医師・保健師とともに指導の担い手として位置付けられた。
特定保健指導の実施に備え、19年度において全都道府県栄養士会において1万名を目標に4日間にわたる「保健指導実践者育成研修会」を開催して人材の確保を図った。

平成20年9月1日(2008年)
栄養ケア・ステーション開設

地域住民が、栄養相談・指導を受けられる場として、日本栄養会館に設置。平成24年度からは、ナショナルセンターの業務を充実し、特定保健指導の直接受託は都道府県栄養士会で行うこととした。

栄養ケア・ステーション開所式(平成20年9月1日)

平成20年9月8日~11日(2008年)
第15回国際栄養士会議(ICD2008)開催

横浜市・パシフィコ横浜において「人類の健康のために、世界中の栄養士の連携と協力」をテーマに、4日間にわたって開催。世界59カ国から8,028人が参加。

ICD2008開会式 中村丁次組織委員長あいさつ

平成21年11月24日(2009年)
法人設立50周年記念式典・祝賀会の開催

東京・帝国ホテルにおいて開催し704名が参加。式典、祝祝賀会、展示、記念誌の発行を行う。

中村丁次会長あいさつ

平成22年4月1日(2010年)
栄養サポートチーム加算認められる(診療報酬)
平成23年3月11日(2011年)
東日本大震災発生

日本栄養士会災害対策本部を設置し、管理栄養士・栄養士を被災地に派遣。その後、日本栄養士会災害支援栄養チーム(JDA-DAT)を設立し、リーダー育成研修会の開催などを行い被災地で支援活動を行う管理栄養士・栄養士の育成・登録を実施。現在まで地震・豪雨などの被災地への支援活動を実施。

JDA-DAT河村号

平成24年8月1日(2012年)
公益社団法人 日本栄養士会設立

平成20年12月1日、公益法人制度改革関連3法の施行に伴って、委員会を設置して準備を進め、7月23日付で公益社団法人として認定。8月1日に登記。

平成25年8月6日(2013年)
社会保障制度改革国民会議報告書公表

高齢社会の到来を迎え、社会保障制度の維持のため、在宅医療・介護の推進が示された。

平成26年4月1日(2014年)
生涯学習を生涯教育と改める

専門職は、使命と責務を自覚し、常にその職能の発揮に努力することが必要であるため、今まで行ってきた生涯学習を生涯職能開発の考え方を取り入れ、キャリアを支援できる生涯教育へ変更。自己評価を行い、到達目標を設定して「研修計画(Plan)を各自で作成、実践(Do)、評価(Check)、改善・見直し(Act)」のPDCAサイクルでスキルを磨き、「知識・技術・倫理の面で信頼できる専門職」であると社会的評価を得られる管理栄養士・栄養士を目指すこととした。

平成26年6月22日、23日(2014年)
平成26年度定時総会で、「管理栄養士・栄養士倫理要綱」制定
平成26年9月1日(2014年)

港区新橋に事務所を移転。

平成28年4月1日(2016年)
平成28年度診療報酬改定、20年振りに栄養食事指導料増額

栄養食事指導料初回が260点に倍増、2回目以降も130点に増額し、指導の対象にがん、摂食・嚥下機能低下、低栄養が加わり、在宅患者訪問栄養食事指導料算定要件から調理が削除された。

平成28年4月(2016年)
認定管理栄養士・認定栄養士制度開始

平成29年(2017)1月に、臨床栄養7名、地域栄養3名、福祉栄養(高齢・障がい)3名、計13名の認定管理栄養士・栄養士が誕生した。

認定証の授与式(平成30年6月26日)

平成28年5月14日(2016年)
全ての人びとの健康の保持・増進を実現するために、「栄養の日(8月4日)」、「栄養週間(8月1日〜8月7日)」を制定

「栄養の日」の制定理由:7 月 31 日栄養改善法公布、 8 月 1 日公益社団法人日本栄養士会設立日、 8 月 2 日健康増進法公布など、栄養、日本栄養士会に関連する記念日が多数あるこの時期に、一般生活者に親しみをもっていただくことを目的とし、8(エイト)と 4(よん)で、「えいよう」の日とした。

平成29年4月(2017年)
特定分野別管理栄養士・栄養士4分野、専門分野別管理栄養士・栄養士5分野に拡大

平成25年(2013)から順次、関連学会等と協働するなど特定・専門的な種類の業務に必要とされる高度の専門的知識・技能を身につけた管理栄養士・栄養士を育成し、それぞれの専門性を認定して登録している。
現在、特定分野別は、特定保健指導、静脈経腸栄養(TNT-D)、公認スポーツ、在宅訪問、専門分野別は、がん、腎臓病、糖尿病、摂食嚥下リハビリテーション、在宅栄養。

平成29年8月1日~7日(2017年)
「栄養の日・栄養週間2017」として、「栄養の日」、「栄養週間」の制定を記念して各種イベントを実施

8月7日には、第1回栄養の日記念式典を高円宮妃久子殿下はじめ多数のご来賓のご臨席を賜り開催した他、平成29年度全国栄養改善大会、平成29年度全国栄養士大会、栄養ワンダー、Webサイト特設ページ、84 Award & 84 Selection 2017等、各種イベントを実施した。

(上から)第1回 栄養の日記念式典、同式典にてご臨席賜った高円宮妃久子殿下(平成29年8月7日)、栄養ワンダー一般来場者の様子、「84 Award & 84 Selection 2017」受賞者の方々(左から、熊本県栄養士会会長・石井孝文氏、地域栄養ケアPEACH厚木代表・江頭文江氏、日本栄養士会会長・小松龍史、谷原章介氏、カレーの街よこすか事業者部会部会長・瀬戸映男氏、公認スポーツ栄養士・こばたてるみ氏:肩書は当時)

平成30年4月1日(2018年)
認定栄養ケア・ステーション制度スタート

地域住民が栄養ケアの支援・指導を受けることのできる拠点として、栄養ケアのネットワーク体制を整備することを目的として、3月30日付けで内閣府の認定を受けて、制度をスタートした。

平成30年4月1日(2018年)
平成30年度診療報酬・介護報酬同時改定、栄養情報の提供が評価される

団塊の世代が75歳以上となる2025年に向けて最後となる、診療報酬・介護報酬の同時改定が行われ、地域包括ケアシステムを推進する観点から、医療機関、介護保険施設間の栄養管理に関する情報提供について、評価された。

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