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生まれ育った福島の食と健康の課題に全力で取り組み成果をあげる栄養教諭

トップランナーたちの仕事の中身#070

武藤真紀さん(二本松市立安達中学校、二本松市安達学校給食センター栄養教諭 、管理栄養士)

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 詩人の高村光太郎の妻、智恵子が「ほんとの空」と呼んだ安達太良山の上に広がる空。その麓にあるのが福島県二本松市です。その二本松市の出身で、今も二本松市内の学校給食センターに所属して、栄養教諭として幼稚園から小中学校、県立高校まで の食育を担っているのが管理栄養士の武藤真紀さんです。「子どもたちのために仕事をしたい」という思いで管理栄養士の国家資格を取得し、栄養教諭の道に進んで、30年ほどのキャリアを積み上げてきました。

未曾有の震災によって断たれたつながり

 武藤さんのこれまでの管理栄養士と栄養教諭の仕事の中で最大の試練は、2011年の東日本大震災と、その後の原発事故からの給食と地産地消の"復興"でした。
 2011年3月11日、武藤さんは当時勤務していた郡山市内の小学校にいました。子どもたちは下校後で校内にはいませんでしたが、大きな揺れで玄関の天井に飾られていたシャンデリアが落ちるほどでした。20km以上離れた二本松市の自宅から郡山市内に通っていた武藤さんは、その日の帰路、信号が停電してしまった道路で車があちこちで渋滞しているなか、不安にかられながら何とか家にたどり着いたと振り返ります。そして、原発事故。事故が起きた太平洋側から郡山市は離れているものの、県内では「外に出ないように」と言われ、給食どころか学校の再開すら見込めない状態でした。
 4月になって新年度、武藤さんは他校に異動の予定がありましたが、8月に延期となりました。郡山市内の小学校では新学期はスタートしましたが、給食は4月下旬からと決まり、武藤さんは給食の実施の準備を始めました。しかし、給食で使用する食材の放射性物質による汚染について心配や疑問を抱える保護者が多く、「給食は食べさせたくない」という家庭が予想以上に多くありました。
 「安心・安全をどうとらえるかという物差しは個人個人によって違います。100人中100人に理解と納得をしていただくことが難しい状況で、それでも学校給食を進めていかなければならないのは苦しかったです」と振り返ります。

 武藤さんの心苦しさには、給食で福島県内産の食材を使えないということもありました。それまで米、野菜、果物、牛乳、畜産物など多くの生産者とつながり、学校給食を支えてもらってきたにもかかわらず、原発事故によって他県産や外国産のものを利用せざるをえなくなり、風評被害もあって一番困っているはずの県内の生産者に顔を合わせることすら辛いものとなってしまったのです。「身近な生産者さんが育てたものを、何か月後、何年後にまた給食で使えるようになるのかどうか? その目処すら伝えられないことも苦しかったですね」

自治体によって"復興"はそれぞれ

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 2011年8月、震災によって延期になっていた異動が実施され、武藤さんは本宮方部学校給食センター勤務となりました。それまで通っていた郡山市と地元の二本松市のちょうど間にあります。本宮市では当時の市長が県内でいち早く学校給食に県内産のものを復活させたいという意向で、市が実施している食品の放射線量検査の見学会を市民向けに開催し、安全性を説明したうえで、その年の秋からまずは地元産の米を給食で使用することになりました。  保護者や子どもたちの中には県内産の米を心配する声が少なくなく、「給食のご飯は食べない」という児童・生徒が給食センター全体で当初は100人弱。このような家庭では主食を持参してもらうようにしました。武藤さんは献立で使用する食材はすべてその産地を献立表に明記し、子どもたちや保護者が確認できるようにし、その料理を食べる・食べないは家庭での判断に任せることにしてきました。米以外の県内産の食材は震災後3年目ごろから使い始め、その頃には給食のご飯を食べない児童・生徒は半分以下に。その数が0になり、全員が学校給食のご飯を食べるようになったのは、震災から5年も経過した冬でした。

 ようやく県内産の食材に対する安心・安全が広まって、地産地消の給食を取り戻した矢先の2017年、武藤さんは地元・二本松市の現在勤務する給食センターへ異動となりました。それまでの二本松市は、本宮市と異なり、県内産食材を積極的に使うことをまだしていませんでした。異動してすぐに武藤さんは、ある保護者からの電話を受け取りました。 「保護者の方は、『栄養士さんが変わると聞いたので電話をかけた』とおっしゃっていました。給食で県内産のものを使わないでほしいという依頼の内容でした」
 地産地消に対する保護者の目の厳しさが残っていることを改めて感じた武藤さん。着任後1年間は様子を見ていましたが、2018年、県内全体で地産地消を推進する動きが復活。県や市の教育委員会も給食で県内生産物を使うという方針を明確に発表し、使用する食材の検査結果をホームページでも公開するようになりました。武藤さんも、震災前につながっていた生産者たちと少しずつ交流を取り戻したり、地元の農家と積極的につながって、今では「地域の食材で給食に使えないものはない」という状態にまで"復興"を果たしました。

もっと子どもたちを応援できる栄養教諭に

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 学校給食での地産地消の"復興"を実現したものの、コロナ禍が再び学校の現場を苦しめました。原発事故後、福島県内では「マスク生活」で、学校や保護者独自の判断により、子どもたちは外での遊びや部活動を控えていました。コロナ禍でまたもマスク生活が強いられ、遊びや部活動にも制限のある日々が続きました。東日本大震災の翌年以降、県内では肥満児の増加に歯止めがかからず、肥満児の割合は男女とも全ての年齢の子どもたちで全国平均を上回っています。
 こうした自粛生活がその要因にあると考えられており、武藤さんは県が作成した「学校における肥満対応ガイドライン」に基づいて、肥満予防につながる給食管理や個別的な相談指導をしています。その際には、(公社)日本栄養士会のスキルアップ研修会で学んだ「児童・生徒の推定エネルギー必要量計算に基づく子どもの栄養食事指導・支援プログラム」を活用して、担当している学校ごとに、在籍している児童・生徒の身体状況調査の結果から、各小中学校・各幼稚園の推定エネルギー必要量を算出して給食に反映しているのです。
 個別的な相談指導では、肥満傾向の児童・生徒それぞれに合わせた食品構成の資料を「食事処方」として作成し、養護教諭や食育推進コーディネーターと連携して、子どもたちが家庭での食事の時間や食事内容と量の調整がしやすいようにしています。食育推進コーディネーターは福島県の独自の役職で、栄養教諭や学校栄養士以外の教員が担当し、各校に必ず1人は存在します。武藤さんは、「食育を進める仲間が校内に一人でも多くいることが心強い」と、県をあげてのその協力体制を喜んでいます。

 肥満傾向の子どもたちに限らず、「もっと子どもたちを応援したい」という気持ちから、武藤さんは2019年に公認スポーツ栄養士の認定も受けました。きっかけは、中学校の陸上部の顧問をしている教諭に生徒の食事に関する相談を受けたこと。制約のある生活のなかで、子どものたちがのびのびと好きなことに打ち込みながら成長していけるように、武藤さん自身は「食の疑問や不安にいつでも、どんなことでも答えられる栄養教諭」でいられる努力を続けています。

プロフィール:
福島県立会津短期大学(現 会津大学短期大学部)卒業、東京都内での病院勤務、保育所勤務を経て、1990年に管理栄養士免許取得。その後、1991年に出身地である福島県の学校栄養職員として採用される。2008年任用替えにより栄養教諭となり福島県教育庁県中教育事務所指導主事、その後栄養教諭として郡山市立行健第二小学校、本宮方部学校給食センター(本宮市立本宮第二中学校)を経て、現職。2019年公認スポーツ栄養士の認定取得。公益社団法人福島県栄養士会所属。

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